20代で築いた強みがキャリアを変えた|松本市へ移住・転職するまで
										私は2024年に登山好きが高じて長野県松本市に移住しました。
									
								これまで松本市への移住の決め手や移住後の生活を記事にすることが多かったのですが、過去の自分の経歴についてはあまり触れてきませんでしたので、タイトルの通り自分が移住に向けて20代に取り組んできて良かったことをこれまでの経歴とともに書いていきたいと思います。
最後まで読んでいただけますと幸いです。
【社会人1年目~3年目】自分の強みが分からず行き詰っていた
地方の大学を卒業後、関西のメーカーに就職しました。その業界では中堅どころの会社です。
半年間の研修の後、首都圏に営業職として配属されました。ちなみに営業を選んだ理由は実はこれといって特にありません。
大学は経済学を専攻していましたが、正直これといった専門性がなかったため(経済学部あるあるですが)、なんとなく営業かなという軽い気持ちで自ら希望しました。
しかし、性格はどちらかといえば内向的で、お世辞にも営業職に向いている性格ではありませんでした。
オフィスにはキラキラしたデキる先輩がたくさんおり、同期入社のライバルと比べても見劣りする成績で、入社して2年目までは完全に迷走期。お客さんのところへ営業に行ってもいつも心臓はバクバク。ろくに雑談もできず、お客さんのところに行っても一方的な業務連絡レベルで、仕事の楽しさなんて一ミリも感じられない日々でした。
大学時代から憧れていた長野への移住の夢は持ち続けていましたが、何の強みも無い自分を拾ってくれる会社なんてあるはずがない、と半ば夢を諦めている状況でした。
【社会人4年目】自分の強みを作るきっかけ
自分の強みを何か作らなければと思い始めた入社4年目、26歳ごろに転機が訪れます。
会社でフレックスタイム制度が導入されることになったのです。
当時、営業がお客さんを訪問できる時間は限られていたため、空いた時間を何かに活かせないか。そこで思いついたのが英会話学校に通うことでした。
英会話を勉強することにした決め手は二つ。
①幼少期から海外のスポーツや洋楽が大好きで海外文化への憧れを抱いていたこと
②英語力=社会人としての強みとなること
特に営業として迷走していた私は何としても②を実現したいと考えていました。そして後々になって気づいたことは、社内に英語力を強みとする人材が少なかったことです。
私がいた会社のターゲット市場は国内が中心。歴史の古い会社で社員は生え抜きばかり。転職者はほぼおらず、安定志向で変化を嫌う社風でした。
そのため海外志向の社員はかなりの少数派で、英語を勉強している人はほとんどいませんでした。しかし、今後は海外にも展開していかなければならないという方針を会社がようやく対外的に打ち出したところでした。
これを知った私は、英語力は間違いなく強みになると確信しました。しかも自分の興味のある海外ということもあり、即英会話学校への入学を決めます。
【社会人4年目~7年目】ゴールが見えない日々
私が通った英会話学校はAEON。
今となっては格安のオンライン英会話のプラットフォームがありますが、当時のAEON授業料は週1回通って年間30万円ほど。なかなか高額ですが、自分の強みになるのであればこれぐらい安いものだと悩むことなく入学を決意しました。
入学早々クラス分けが行われます。海外旅行にはほぼ毎年行っていたため、少しぐらいは喋れるつもりでいましたが、自分のレベルは11段階中下から4番目(レベル4)。自分の強みにまで持っていくには相当な努力と時間が必要だということをこの時思い知らされました。
ここからは毎日が英語漬けの生活が始まります。
AEONのテキストを勉強するだけでなく、洋画を字幕で見てみたり、営業車で聞くラジオをAFN(日本に駐留する米軍関係者向けAMラジオ)にしてみたり、スマホの設定を英語にしてみたりと、少しでも英語に触れる機会を増やそうと工夫しました。
英会話学校に通い始めて1年も経つと、先生との会話が少しずつ成り立つようになっていることを実感できました。しかし、同時に新たな悩みも出てきました。
・いつになったら仕事で活かせるのか
・どのレベルに達すればゴールと言えるのか
・あといくらお金をかければ良いのか
半分趣味で始めたものの、あと何年続ければ良いのか、もっとコスパの良い自己研鑽があるのではなど、色々なことが頭を巡ります。しかし、上司や同僚に英語を勉強していることを宣言しており、簡単には止められない。もしここで勉強を止めたら中途半端な人間だと思われるし、結局自分に何も残らない。そう言い聞かせて勉強を続けていました。
【社会人8年目】コロナ禍で営業活動ストップ
そんな時、コロナが猛威を振い始めました。
コロナは営業職にとってまさに致命的でした。営業なのにどこにも訪問できない。自分は何の役にも立たない人間だ。この頃、かなりメンタルがやられていました。営業ができないなら何か他の仕事はないか。しかし、自分には何も能力がない。自己嫌悪の日々でした。
そんな中、唯一の希望は英語でした。語学力を伸ばして違うキャリアを歩みたい、その思いはますます強くなっていきました。
この頃、英会話のレベルは11段階中8番目(レベル8)。上級者とまではいきませんが、自分の考えをスラスラと伝えられるレベルまで到達していました。ちなみにTOEICは800点ほど。
この頃、上司にも自分のキャリアについて相談していました。勉強を続けていても出口が見えない状況と苦しい心境を率直に伝えました。すると翌年、再び転機が訪れます。
【社会人9年目】人生の転機が訪れる
コロナが少し落ち着き始めた2021年。営業活動も少しずつ再開でき始めてきたころ、見覚えのない番号から電話がかかってきました。それは面識のない人事部長からの電話でした。
異動がある場合、普通は自分の上司から連絡が来るため、わざわざ何のために連絡してきたのか検討もつきませんでした。電話の内容は、海外赴任に挑戦する意思はあるか確認したい、というもの。初めは耳を疑いましたが、自分がやってきたことが認められたことが嬉しく、妻の許可も得ず『行けます』と即答しました。(その後、妻は祝福してくれました)
しかし、いざ海外赴任が決まると色々なことが不安になってきます。今の英語力でやっていけるか、海外で生きていけるか、大した経歴もないのに就労ビザが取れるのか、住居は、食事は、子どもの保育園は… 本当に不安しかありませんでした。
赴任が決まってからは会社からのサポートがあり、プログリットという本田圭佑さんがCMしている英語学習のコーチングの料金を家族分も含め補助してくれたり、セキュリティもしっかりしているマンションを用意してくれたりと、何とか希望の光が見えてきました。
そして30歳になり、海外生活が始まりましたが、それは激務の始まりでもありました。職種は事業開発。海外子会社と日本での新規事業の企画が私の職務でした。日本と頻繁にやりとりするため、米国時間の21時以降から会議なんて当たり前。今までやったことのない業務に加え、英語力も必要とされる。ストレス溜まりまくりの生活で妻にもかなり心配されました。
それでも憧れだった海外生活を実現できたことへの満足感はとてつもなく大きなものでした。海外の文化、人種、宗教、そして熱気。全てが新鮮で、間違いなく人生で1番刺激的な時間でした。この時間を過ごせたのは、20代に持った自分の将来に対する危機感とお金と時間を惜しみなく自分に投資した結果と自信を持って言えます。
【社会人11年目】日本への帰国を決意
海外での生活が3年目を迎えた頃、私と妻の心境に変化が起きました。
海外での生活は素晴らしいものだけれど、日本での生活がいかに素晴らしいものだったか。あれほど洗練された国は他にないし、日本人として生まれた子どもが日本の素晴らしさを知らずに育って良いのか。様々な考えがよぎる中、かつて夢見た長野移住をふと思い出しました。
日本に帰って長野に住もう。
以前と同じ首都圏に戻るのは違う気がしていました。自分たちらしく生活できる場所は首都圏ではない。海外のように多少不便な生活であっても、自由な空気や大自然がある環境が自分たちには合っている。海外での生活は長野移住への想いを再び持たせてくれました。
早速上司に会社を辞めることを伝えました。上司のポカンとした表情は今でもはっきりと覚えています。定年まで勤め上げるのが当たり前の会社で、しかも海外赴任中に辞める人なんて今までいなかったからです。しかも転職先もまだ決まっていない状況で、上司はちょっと引いていました。
それでも、ここまで頑張ってやってきたのだから転職先もすぐ決まるだろうと、確信に近いものがありました。それは的中し、帰国した直後、すぐに移住先の長野県で希望する会社への転職が決まったのです。まさに自分の強みが活きた転職でした。
【結論】20代での自分への投資が自分の人生を形づくる
「これをやってみたい」とビジョンを掲げ、周囲にまで宣言したのは英語学習が自分の人生で初めてだったように思います。逃げられない状況を作り、そのビジョンに向かって時間とお金を投資する。すると人生がコロコロと良い方向に転がっていきました。本当に不思議です。あの時の投資が何倍にもなって帰ってきています。どこかの自己啓発本で見たような言葉は本当だと実感しました。
30代になった今、次は自分に何を投資しようか色々と模索しています。次の夢に向かって一歩ずつ前進していきたいです。
この記事が何か一つでも読んでくださった方の背中を押すようなものになっていればと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました。ブログに対するご意見などもお待ちしております。

転職で減った収入を配当株投資で補い、信州ライフを満喫中。自身の経験が誰かの役に立てばと思い、ブログを始めました。
移住・投資・松本観光・登山・庭づくりなど、様々なコンテンツを発信していきたいと考えています。
どうぞゆっくりご覧になってください。